こんにちは さざなみでケアマネジャーをしています近江祐樹(おおみゆうき)です。
今日は、さざなみのホームページにテーマとしてかかげてある『その人の生きてきた「ものがたり」を支える』について。ちょっと長く、硬くなりますがご容赦ください。
介護や医療、福祉等の現場において、相談援助技術の中にナラティブ・アプローチという技法があります。その中のナラティブというものが表題における「ものがたり」を意味しています。
「ものがたり」ってStory ではないのか という事について、映画やドラマなど、ストーリーには名詞的なイメージ、完結したもの という取り扱い方ができる様な気がします。さざなみでイメージする「ものがたり」はNarrative。ナレーションやナレーター等の言葉は聞きなじみがあると思いますが、意味合いとして その人が語ること 語られること 動詞的な取り扱いをするとしっくりしてきます。
私がさざなみに参加した2007年、介護や地域のことなど何も知らなかった私は皆さまそれぞれの強烈なナラティブの洗礼を受けました。諸先輩方のケアの姿勢に共感し、勉強を始め、日々の実践を通じて学ばせていただき、今に至っています。その人のナラティブに興味を持つことが出発点。私にとってはナラティブが神様。その次に専門職の視点が加えられることで良いケアができると考えています。
私たちと出会うタイミングはその人にとって、怪我や病気、生活環境の難しさや何らかの喪失体験など、その人の人生においてパワーレスな状況(本人の自覚は別として)であることが殆どです。その時期に、その人の人生の重要な局面に関わらせていただく責任としてナラティブを軽視することはできません。
専門職として、歴が長くなればなるほど、色々な場面において、結論を出す速度が上がっていきます。ただ、それはナラティブを無視したものであってはいけない。その人の考え方、営んでいる日々、周囲との関わり等、本人のペースに合わせた速度を忘れず、ギアを丁寧に入れ替え、シフトチェンジを行い、無理のない支援をしていきたいと考えています。
色々なケアの現場で、特に認知症ケアにおいて、その人の語ることをナラティブとすると、そこには 事象的に正しくないこと、整合性の取れないことが山ほど出てきます。正しい正しくないは二の次です。まずはナラティブを尊重し、そのうえで様々な専門職が活躍していきます。順序を間違えると途端にケアは硬化してしまいます。
私は本人が生き生きと、その人自身の持っている力を、意識することなく自然に発揮できるような風通しの良い、柔らかなケアが大好きです。
私たちと出会うことをきっかけとして必要なケアを得られる。その人が語ること 語られることが未来に向かって良い「ものがたり」へと自然と方向づけられる。そんなケアをしたい、そうでありたいと活動を続けています。
ケアに行き詰った時、自分が突っ走ってしまった時、『その人の生きてきた「ものがたり」を支える』に立ち返り、深呼吸をして日々のケアに臨んでいきます。
貴重なお時間、ありがとうございました。
#鋸南町#介護#ケアセンターさざなみ#ケアマネジメント#ナラティブが神様
コメントありがとうございます。
日々、私たちも悩みながら仕事をしています。
いろんな価値観に触れて多様なニーズに応えられるように、凝り固まらずと考えています。
地域や世代を超えて、みんなが少しずつ良くなる事で、少し良い世の中になればいいな と思っています。今後もよろしくお願いします。
仕事に対する思いが伝わります。その思いに応えられるようなサービス事業者でありたい、私も努力しなくては…と思いました。
読んでいただきありがとうございます!
さざなみブログコメント第一号です。
あまりに個人的な感覚の投稿で恥ずかしい気持ちもありますが…。
また覗きに来てください。
このような想いのある方がいらっしゃって、利用者さんは幸せだと思います。
あくまでも本人が自分の人生の主人公ですものね。
応援しています。