連日台風関連の投稿となってしまっています。
令和元年台風15号から早一年がたとうとしています。少し被災後の事について書いてみたいと思います。
あの日、鋸南町は単独で局地激甚災害と指定されるほどの災害に見舞われました。これまでに感じたことのない風。8日から9日にかけて、ほとんどの町民が眠れぬ一夜を過ごしました。暗闇の中、風の音、何かが飛ぶ音、ガラスの割れる音。
朝、風が幾分弱まり、外に様子を見に行くと、世界が変わってしまっていました。
ガラスが割れ、屋根や壁が飛んでしまった家、電柱はバキバキに折れ、道は車が通れない。車はひっくり返り、窓ガラスが割れている。海沿いの町は被害が大きく、がれきの山。山間部では土砂崩れで孤立してしまっている。電気、水道、電話も通じない。情報が入らない。
さざなみ大六のデイサービスも被災し、強化ガラスが割れ、天井が落ち、室内はぐしゃぐしゃで水浸し。何とか辿り着いたとき、想像以上の光景に途方に暮れたことを思い出します。
関わっている利用者さんの安否、職員の安否、事業所の復旧、介護業務、会社の経営。そもそも町全体が滅茶苦茶です。自分は何をしたらいいのか。日毎、時間ごとに判断をしなければいけません。判断がぐるぐると変わり続けます。
町全体、職員も被災している。その中で自分たちがやるべきことは?みんなで必死に考え、できることに取り組み続けました。
支援物資をたずさえ、各地から駆けつけてくれる仲間たち。職員みんなの友人や知人が届けてくれた物資で、被災翌日からデイサービスの食事を提供でき、必要な人に向けおにぎりを届けることができました。炊き出しの手伝い、子供の面倒を見てくれる友。デイサービスを助けてくれた介護福祉士の方。地域の方々、介護事業者のつながり、奮闘する町職員の方。
デイサービスも電気、水道等が止まる中、被災を免れた事業所で開所。被災後の孤独な状況から、デイサービスでの再会に皆さまの涙があふれます。
被災数日後の朝、給水所で洗濯をしていたところ、栃木から軽トラックで発電機を背負い支援に来てくれた方に出会いました。それにより、デイサービスの利用者さんは鋸南町の一番風呂に入ることができました。その方は名乗りません。「自分は昔、人に迷惑をかけてきたから」と。「あなたたちが一生懸命やっているから」と、勇気をくれます。
苦しい中で色々な人に助けられました。さざなみ大六もご厚意により別の会場をお借りして数か月営業させていただくことができました。他の事業所を利用することもできる中、大六を待って下さった方もたくさん。申し訳ない気持ちとありがたい気持ち。感謝しかありません。
また印象に残るボランティアの方との出会いもありました。その方は数か月、鋸南町の道の駅に車を止め、車中泊をしながら鋸南町の復旧に奔走してくださっていました。その方が年末に東京に帰ることになった日。泣きじゃくりながら電話をくれました。「鋸南町の人たちに良くしてもらった。皆さんに感謝しかない。離れなくてはならないことが申し訳ない。」
仕事を休み、私費を投じ、鋸南町の為に奮闘してくれていた姿を忘れることはできません。
さざなみのスタッフみんなで奮闘した一年でした。思い出したくないことも多くありますが、困難な状況の中、みんなで声をかけあい、助け合い、想い合い、何とか乗り越えられました。
この一年のすべてに感謝します。
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